場は情報なのか? Part2¶
Author: MikeTurkey, in conversation with claude
Date: 1 Jan 2026
場を感じる力¶
Part 1では「場=情報」という仮説を提示した。電子が電場に応答するように、人間も情報環境という場に応答する。
光は電磁場の振動として真実を運び、闇は虚偽を広げる。(このエッセイではこのように仮定している)
しかし一つ疑問が残る。
同じ場に置かれても、応答する者としない者がいる。
電子は電場があれば必ず応答する。選択の余地がない。
しかし人間は、情報があっても受け取らないことができる。この違いは何か。
二つの神話¶
この問いを考えるために、二つの神話を比較する。
ノアの方舟(旧約聖書)では、人々は堕落し、暴虐に満ち、心が常に悪に向かっていた。
神はノアにだけ語りかけ、方舟を造らせた。ノアが方舟を造っている間、人々はそれを見ていたはずだ。
しかし聖書はこう記す。「洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった」
天岩戸(Cave of the Sun Goddess, 日本神話)では、スサノオ(Susanoo)が高天原(Takamagahara)で乱暴を働き、
天照大神(Amaterasu)が岩戸に隠れて世界が闇に覆われた。
神々は祭りを開き、アメノウズメ(Amenouzume)が踊り、笑いが起きた。天照は不思議に思って岩戸を開け、光が戻った。
その後スサノオは追放され、地上で老夫婦の涙を見て、ヤマタノオロチ(Yamata no Orochi)を退治する英雄となった。
次の項目ではスサノオの話を詳しく見てみよう。
Tip
アメノウズメとは芸能の神である。
乱暴を働く神が英雄になる物語¶
天岩戸(日本神話)を説明する。
天照大神はスサノオの姉である。
姉が弟の面倒を見るというのが、人間世界ではよく見られることであるが、神の世界でもそれは同様である。
スサノオは乱暴者で、田畑の畦を埋め、馬の皮を逆剥ぎしたりと悪戯ばかり働いていた。
それに天照大神が大いに怒り、「天岩戸」という洞窟にお隠れになった。
太陽神である天照大神の光がなくなり、闇に閉ざされたため、高天原であっても作物が取れなくなり、
病気が蔓延した。
それに困った神々は、洞窟の前で踊り始めた。
天照大神は思った——私がいなくなり災いが起きているのに、なぜ彼らは踊っているのか。
不思議に思い、岩戸を少し開けた。その瞬間を逃さず、神々は天照を外へ引き出した。
高天原は再び光に包まれた。
この一件で、暴れたスサノオは高天原を追放される。
追放された場所には、ヤマタノオロチという8つの頭と尻尾を持つ大きな蛇がいた。
この蛇には毎年若い女性を生贄に捧げなければならない。
そこに住んでいた老夫婦は、八人の娘がいたがついに末娘一人だけになってしまい泣いていた。
それを不遇だと思ったスサノオは、「その蛇を退治したら娘を欲しい」と申し出て、老夫婦は喜んで応じた。
腕に自信のあるスサノオは、大蛇を退治し、娘と結婚することとなる。
その功績により、以降スサノオは英雄として扱われることとなる。
Tip
高天原とは、神が住むとされている場所。
天照大神がいわゆる「ボス」とされている。
なお、すべての神がここに住んでいるわけではない。
Note
「その蛇を退治したら娘を欲しい」
現代では人身売買であるが、古代の婚姻習慣を反映しておりそのままの記述にした。
場を感じる者、感じない者¶
二つの神話の違いは明確だ。
スサノオは場を感じた。高天原という場では破壊者だったが、地上という場で老夫婦の涙を見て、行動が変わった。
場が変われば応答が変わる。電子のように。
ノアの方舟で滅んだ人々は場を感じなかった。ノアが方舟を造っているという情報は存在していた。
目の前にあった。しかし彼らはその情報を受信しなかった。
洪水という最大の情報すら、「何も気がつかなかった」。
情報は存在するだけでは意味がない。受信されなければ、存在しないのと同じだ。
物理学との対応¶
ここでダークマターを思い出す。
ダークマターは光と相互作用しないとされる。
光が来ても、反射しない、吸収しない、応答しない。
光という情報を「感じない」存在だ。
しかし重力は持っている。質量はある。存在感はある。
これは堕落した人々の描写と重なる。
彼らは社会的な存在感を持っていた。
日常生活を送り、食べたり飲んだり、結婚したりしていた。重力はあった。
しかし真実という光に応答しなかった。ノアの警告が届かなかった。光を感じない存在だった。
三種類の存在¶
人間社会を物理学の比喩で分類すると、こうなる。
第一に、光を発する存在。可視物質に対応する。
真実を見て、真実を発信する者。
ノアのように神と共に歩み、嘲笑されても方舟を造り続ける者。全体の4%。
第二に、場を感じる存在。電子的な存在。
場に応じて善にも悪にもなりうる。
スサノオのように、たとえ破壊者であっても、老夫婦と娘の不遇に感化しては英雄となる。
感じる力を保っている限り、救われる可能性がある。
第三に、場を感じない存在。ダークマターに対応する。
光が来ても届かない。警告があっても受信しない。
重力は持っている。社会的影響力はある。
集団で構造を作る。しかし光とは相互作用しない。全体の27%。
そして68%を占めるダークエネルギー。
これは嘘、誹謗中傷、虚偽の情報に対応する。
宇宙を加速膨張させ、物質同士を引き離す力。
人間社会では、人と人を引き離し、人と真実を引き離し、やがて人が場を感じる力そのものを奪っていく。
Note
なぜスサノオは、神たちが住まう高天原で良き神にならなかったのか?
「場」がよければ、スサノオも良き神になるはずである。
この答えは、姉と弟の関係であったことが推測される。
兄弟間ではしばしば悪戯をしあうものである。
それが過ぎたのではないかと、筆者は推測している。
ダークエネルギーの作用¶
ダークエネルギーのような嘘や誹謗中傷は、一体何を引き起こすのだろうか?
SNSの誹謗中傷を考える。最初は傷つく。感じている証拠だ。
しかし浴び続けると慣れる。防御のために感覚を鈍らせる。
やがて何も感じなくなる。同時に、他者の痛みも感じなくなる。そして自分も加害者になる。
これがダークマター化(dark-matterization)のプロセスだ。
ダークエネルギー(嘘、誹謗中傷)に曝され続けると、場を感じる力が麻痺していく。
閾値が上がり続け、やがて何も届かなくなる。
まるで物理学のダークマターのように光が来ても素通りする。感じない存在になる。
被害者が加害者になる。感じる者が感じなくなる。
これがダークエネルギーの本質的な害悪だ。
単に人を傷つけるのではなく、感じる力そのものを奪う。
善悪の再定義¶
従来の善悪は行為で判断される。何をしたか、何をしなかったか。
しかしこの構造から見ると、善悪は受信能力の問題として再定義できる。
スサノオは悪行を働いた。
田を壊し、神殿を汚し、機織り女の死を招いた。
しかし彼は「善」だった。場を感じる力があったからだ。
具体的には、老夫婦の悲しみに同調することができた。
だから場が変われば行動も変わった。
ノアの方舟で滅んだ人々は、普通の日常を送っていた。
食べたり飲んだり、結婚したり。しかし彼らは「悪」だった。
場を感じる力を失っていたからだ。だから光が来ても届かなかった。
場を感じるうちは善である。
たとえ悪行を働いても、感じる力がある限り、変われる可能性がある。
場を感じなくなったとき、人は悪になる。何をしていても、光が届かない存在になる。
宇宙の構成比と人間社会¶
宇宙の構成比を人間社会に当てはめると、驚くほど現実感がある。
善人は4%。
真実を追求し、発信し続ける人。社会の中でごく少数。ノアのような存在。
悪人は27%。
何を言っても届かない人。反省しない。感じない。
しかし社会的影響力は持っている。
集団を作り、構造を形成する。エコーチャンバーの住人。
嘘という力は68%。
社会に満ちている虚偽、誹謗中傷、フェイクニュース。
これが一般人を侵食し、悪人(ダークマター化)へと徐々に変えていく。
一般人は、善人とダークエネルギーの間で奪い合われている存在だ。
光の場に置かれれば善人側に近づき、闇の場に置かれればダークマター化していく。
Tip
エコーチャンバー(Echo Chamber) SNSでよく見られる現象。 同じような人と情報を共有しているため、違う意見が目に入らず、 偏った情報がさも真実だと思い込む現象。
二つの神話が語ること¶
天岩戸は希望を語る。場を変えれば人は変われる。
天照大神は、天岩戸で閉じこもり、暗い世界になっても、他の神は天岩戸で踊り明かし
闇から光へ場を変えようとした。
スサノオは、天岩戸から地上に降りて老夫婦の涙という「悲しみの場」に反応したからこそ、
英雄になれた。
ノアの方舟は現実を語る。しかし多くは変わらない。
場を感じない者には何を言っても届かない。気づかないまま滅びる。
「場」が変わって変われる人もいるが、多くの人は「場」が変わっても変われない。
つまり、どちらも真実である。
現代の洪水¶
ノアの時代、洪水が来て世界を覆った。
現代の洪水は情報の洪水だ。SNSのタイムライン、ニュースフィード、通知の嵐。その中に誹謗中傷、フェイクニュース、ヘイトが混じっている。毎日毎日、浴び続ける。
この洪水に溺れると、ダークマター化する。感じなくなる。真実が来ても届かない。光があっても見えない。
では我々はどうしたら良いのだろうか?
情報を選ぶことかもしれない。
すべてを浴びるのではなく、何を受け取るか選ぶ。闇の情報から距離を置く。
感じる力を守ることかもしれない。
麻痺する前に、闇から離れる。自分の感覚が鈍っていないか、常に点検する。
真実の源との接続を保つことかもしれない。
ノアが神と共に歩んだように、自分なりの真実の基準を持ち続ける。
多数派に流されない。場に染まらない。
このことについてはpart3で話すこととする。
結論¶
場は情報である。
しかし、情報を受信する力がなければ、場は存在しないのと同じだ。
ダークマターは光と相互作用しない。光という情報を感じない存在だ。
人間社会にも同じ存在がいる。
真実という光が届いても、感じない者には届かない。
ダークエネルギーは人と真実を引き離す。
浴び続けると、場を感じる力そのものを奪う。被害者が加害者になり、感じる者が感じなくなる。
宇宙の96%は闇だ。人間社会も同じかもしれない。
光を発する者は4%。感じなくなった者は27%。そして68%の嘘が、日々人々をダークマター化させている。
しかし光はゼロではない。4%は存在する。方舟に乗る者は少数でも、必ず存在する。
どうすれば良いのだろうか?
古代からの逸話から、私が言いたいことは「感じる力を失うな。」ということである。
「感じない」ほうが楽であるが、楽をしてはならない。
最後にこの一節を贈る。
マタイの福音書7章13節
狭い門から入りなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。
そして、それを見出す者はわずかです。
- > Entrai pela porta estreita; porque larga é a porta, e espaçoso o caminho que conduz à perdição, e muitos são os que entram por ela; E porque estreita é a porta, e apertado o caminho que leva à vida, e poucos há que a encontrem.
### ロシア語 (Синодальный перевод) > Входите тесными вратами, потому что широки врата и пространен путь, ведущие в погибель, и многие идут ими; потому что тесны врата и узок путь, ведущие в жизнь, и немногие находят их.
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